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教皇の栄華


ローマ教会
ローマ教会、 Foto E. Buchot

ローマは11世紀には回復しはじめたが、14世紀の初めに教皇がフランスのアビニョンにうつり、回復の足どりは弱まった。教皇は1377年にローマに帰還し、15世紀半ば以降、教皇の強力な保護によってローマはルネサンス文化の中心地となった。教皇ニコラウス5世の時代には、城壁の改修、宮殿の建設、教会の修復工事がおこなわれた。おもな芸術家や建築家はローマで活動するようになり、15世紀末にはローマはフィレンツェにかわってルネサンスの一大中心地となり、ミケランジェロ、ブラマンテ、ラファエロなどの芸術家が教皇のために仕事をした。

しかし、1527年、ハプスブルク家の傭兵軍による、いわゆる「ローマ劫掠(ごうりゃく)」によって、この都の盛期ルネサンスは終わりをつげた。なお、家屋が雑然と密集した中世の都市形態が近代化されはじめたのは、16世紀末の教皇シクストゥス5世の時代である。シクストゥス5世はポポロ広場から市の中心部にむかって3本の道路を開き、広場や泉をつくり、フェリーチェ水道を修復した。サン・ピエトロ大聖堂の丸屋根が完成したのもこの時代である。 反宗教改革期のローマを特徴づけるバロック様式は、17世紀の建築物に多くみられる。ベルニーニやボロミーニのような彫刻家と建築家が、この時代にローマの外観をかえていった。18世紀のローマは、教皇の支配のもとで比較的穏やかな時代をむかえていた。スペイン階段などにみられる18世紀前半のロココ様式の建物は、やがて新古典主義の建物にかわった。1797年ナポレオン1世はローマを占領し、多数の貴重な美術品をもちさった。1814~15年のウィーン会議ののち、ローマはふたたび教皇領となった。

ウィーン会議後のオーストリアによるイタリア支配は独立達成にむけてイタリア人を奮起させたが、援軍とあおいだナポレオン3世によるイタリア占領はイタリア人の反発をまねき、1861年、イタリアの大部分はサボイア家のもとで統一をはたした。教皇の本拠地だったローマは70年、フランス軍の撤退後イタリア王国に統合された。教皇はバチカンにこもり、みずから「バチカンの囚(とら)われ人」となった。 © テキスト Emmanuel Buchot

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