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英国の教育
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歴史的にイギリスの教育制度は、階級制を反映したものであった。イートン校、ハロー校、ラグビー校などのパブリック・スクールとよばれる私立学校は、はじめは聖職者の養成を目的としており、生徒たちはほとんどが有産階級と貴族の子供たちであった。しかし、19世紀になると、教育をうける機会を一般大衆に広げることをめざし、イングランドとウェールズでは任意寄付制学校の制度が発展した。慈善・宗教団体により設立された任意寄付制学校は、1833年以降、国から財政的援助をうけるようになった。70年には初等教育法が成立し、これは全国的な初等義務教育制度に発展する。

英国の教育
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イングランドは三角形に近い形をしており、その頂点はトゥイード川の河口である。東側は北海に面し、西側はトゥイード河口からスコットランドとの境界沿いに南西へむかい、アイリッシュ海沿岸部、ウェールズとの境界線をとおって、グレートブリテン島の西端ランズエンド岬に達する。北境にあたるスコットランドとの境界は、西のソルウェー湾からチェビオット丘陵にそって東のトゥイード河口まで、南はイギリス海峡に面している。ランズエンド岬南西の大西洋上にあるシリー諸島、イギリス海峡にあるワイト島、アイリッシュ海にあるマン島などもふくむ。

初等教育法により学区が設置され、学区は地域ごとに選出される学務委員会によって監督された。学務委員会は任意寄付制学校のない地域に学校を設立する権限をもち、さらに、自由裁量で出席を義務づけることもできた。1899年には国の教育委員会がつくられ、19世紀の終わりまでには初等義務教育制度がいきわたる。1902年の教育法により学務委員会が廃止され、公教育は地区教育局にゆだねられた。任意寄付制学校は公的基金の助成をうけるようになった。

現行の教育制度は1944年の教育法(バトラー法)による。146の地区教育局が州委員会もしくは特別市委員会となり、地区学校は州立学校となった。初等教育と中等教育の連結が確立し、さらに継続教育の制度がもうけられた。継続教育とは18歳までに義務教育をうけていない人を対象にしたものである。70年代の中ごろに地方政府の再編成がおこなわれたのち、イングランドとウェールズの地区教育局の数は105となり、州および州自治区選出の委員会となった。

スコットランドの教育制度は独自のかたちで発展した。1872年のスコットランド教育法は、イングランド、ウェールズの70年の初等教育法にあたり、学校を地区ごとに選出される学務委員会のもとにおいた。以後もスコットランドは独自の学校改革をおこない、20世紀までには各地区は公立小学校をもつようになる。中等教育の普及はイングランドやウェールズよりもはやく、任意寄付制学校の比重はイングランドにくらべて低かった。1945年のスコットランド教育法はイングランドとウェールズのバトラー法の条項を適用したものだが、バトラー法による改革の多くは、スコットランドではすでにおこなわれていた。75年に地方政府の再編成がおこなわれたのち、スコットランドの地区教育局は9州と3島で選出される委員会となった。北アイルランドの教育は、1923年の北アイルランド教育法により教育委員会(のちに教育省)の担当となる。州および州自治区には地区教育局がおかれ、イングランドと同様の制度がもうけられた。47年の北アイルランド教育法では、バトラー法と同様の改革をおこなった。72年の教育・図書館令により、5つの教育・図書館委員会が地区教育局に設立された。義務教育は5〜16歳である。イギリスの学校は、私立をのぞき大部分が国家の補助金をうけている。とくに義務教育期間は、授業料は無料で、教科書代や給食費も不要である。イギリスの大学は、オープン・ユニバーシティ(放送大学)と私立のバッキンガム大学をふくむと全部で89校になる。いずれの大学も議会によってさだめられた委員会によって自治が保障されており、イングランドのケンブリッジ大学、オックスフォード大学、ロンドン大学、スコットランドのエディンバラ大学などは世界的に知られる。第2次世界大戦後、多くの大学や高等教育機関が設立され、入学者の条件は緩和されている。。"イギリス" MicrosoftR EncartaR Online Encyclopedia 2008
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